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リハビリ

音楽との時間

学生時代は吹奏楽とジャズとフォークに明け暮れて、今でもたまに古いクラリネットを引っ張り出して吹いてはかつての青春に浸っている父は、私が幼少期の頃から音楽をやることを盛んに勧めてきた。

当時の父の演奏音源も残っていて、「これは高3の時にメンバーが足りなくて楽器に素養がある人を運動部からスカウトしてきてやっと実現した定期演奏会で、そのスカウトした人が当時の担当楽器だったサックスの演奏が自分よりも上手くて、泣く泣くクラリネットを吹いたんだ。こいつのこのサックスソロがめちゃくちゃ良くて今でも痺れる」など、父が酔う度に数多のエピソードを何度も何度も熱く語っていたのは今でもよく覚えている。

 

保育園の頃から習っていた水泳が大嫌いで、行く前に毎回グズっていた見兼ねた両親は、私に別の習い事をあてがおうと、色んなレッスンの見学に行った。その中でも、ボタンがいっぱいあってかっこいい!という単純な理由で小2からなんとなくエレクトーンを始めた。

数ある習い事候補の中から音楽を選んだ私に歓喜した父は、奮発してエレクトーンまで買ってくれて、バンドのキーボード兼コーラス(たまにメインボーカル)のようなポジションで将来活躍してほしいんだと、また熱く語っていた。

 

エレクトーンとピアノと歌を楽しみましょうというコンセプトの週1のグループレッスンで、家でもそれなりに自主練して、楽譜どおりの演奏は出来るようにはなったものの、父の期待虚しく、私の演奏はただ楽譜なぞるだけのもので、それ以上にはならなかった。壊滅的だった音痴も治りそうになかった。

 

小6に上がる年に引っ越すことになり、それを機に辞めようかと思っていたところ、映画「天使にラブ・ソングを…」と出会った。

確か、衛星放送だったかで放送されていて、観始めたらみるみる魅了された。

はじめは各々が「これだ」って思う歌を、蚊の鳴くような声だったり、マイペース過ぎるリズム感で、バラバラに歌う。それはもう見事な統一感の無さで、そのコミカルさに笑っていたのに、各々の強烈な個性をすったもんだしながら、ウーピー演じるデロリスが一つの合唱にまとめ上げていく。あまりに美しくて、力強くて、繊細で、圧倒的な音楽の素晴らしさにたまらなくなって、最後はぐちゃぐちゃになりながら泣いた。

 

音楽に感動したのはこれが初めてだった。それまでも好きな音楽はあったけれど、どうして好きなのか分からなかった。

それまで私が考えていた音楽は楽譜どおりに音を出すことでしかなくて、それと、第一線で活躍されている人の音の何が違うのか分からなかった。

その人の人生や、曲が持つ物語、歌詞に込められた想いやら何やらが全部一つになって、楽譜どおりに歌うときの微細な表現でこうも全然違う。そもそも私は楽譜通りになんか演奏できていなかった。ただ、キーボードを押して音を出していただけだった。

衝撃でしばらく頭がぼんやりしていて、今まで無為に過ごした4年間を悔いて、辞めようと思っていたエレクトーンをもう少し続けることにした。残念ながらこの後も楽譜をなぞるだけの演奏からは脱せられず、最後まで芽は出なかったが、学内の合唱コンクールでクラスの伴奏や指揮やる程度には上達し、音楽を楽しいと思ったままに、高校進学のための塾通学を機にとうとう辞めた。

 

小学生からの習い事のエレクトーンと並行して、中学の部活は迷わず吹奏楽部に加入した。

父の多大なる影響を受け、最初に希望した楽器はサックスだった。誰もが知っている人気楽器なので希望者が集中し、サックスの吹口にあたるマウスピースとそのちょっと先のネックを繋げただけのものを吹いて鳴らすオーディションがあり、良い感じに鳴らせた私は無事サックスパートを手に入れた。大喜びで父に報告し、父もとても喜んでいた。しかし、いざ楽器本体に接続された途端、全然息が入らない。か細い音がやっと聴こえるか、という状態になってしまった。数週間練習しても全然上達せず、呆気なくサックスを降ろされ、当時誰も担当がいなかったユーフォニアムという金管楽器島流しになった。

 

サックスは木製のリードを振動させることで音が鳴る楽器だが、ユーフォニアムは小さな金属の漏斗のようなものに息を入れて唇を振動させることで音が鳴る楽器だ。全然違う。

加えて、普通にドラマや音楽番組のバックバンド等で普通に登場するサックスと違って、ユーフォニアム吹奏楽をやってる人じゃないと知らないようなマイナー楽器だ。

前にユーフォニアムやっていて今はトロンボーンをやっているという先輩にさらっと音の出し方を教わり、運指表を渡され、更に遅れて入ってきて楽器に空きがなく同じく島流しにあった同期(楽器演奏未経験で楽譜も読めない)の指導まで一任され、ユーフォニアムに異動になって1ヶ月ぐらいはやさぐれていただろうか。

私の投げやりな気持ちとは反面、私にはユーフォニアムの適性があり、音は最初から息が吸い込まれるように鳴り、元々楽譜も読めたのですぐに演奏に参加できるようになった。同じく島流しにあった同期も良い子で、塩対応だった私を物ともせず交流を試みてくれ、気が付いたらめちゃくちゃ仲良くなっていた。彼女とは今でも一番の大親友だ。

 

ユーフォニアムという楽器は吹奏楽では全然目立たない。ベースのリズム隊や、中音域でロングトーンで楽曲を支えるパートを更に支えるようなポジションで、合奏練習でも「このパートはトロンボーンとホルンだね、じゃあやってみよう」「ユーフォもいます!」というやり取りが頻発するような存在感だった。

でも、吹奏楽コンクールなんかでやるような楽曲では、目立たないリズムやロングトーンの隙間に、オブリガードという主旋律と対立する旋律(対旋律)を担当することが多く、これがめちゃくちゃ美味しい。

サックスとかトランペットとかが目立つのはもう当たり前感があるのだが、オブリガードで出てくるユーフォニアムは今まで存在感がなかった分、聴いてて「えっ!今の楽器なんだ!?」という驚きが大きい。

目立たないのは、柔らかく広がりよく馴染む音色だからだ。ユーフォニアムは「よく響く」という語源のとおり、響きが柔らかくとても美しい。オブリガードパートは主旋律と同時に演奏するのだが、メインを掻き消さず、邪魔せず、引き立てつつ、自分の存在もしっかり主張する。その魅力を遺憾なく発揮できるところだ。

 

最初は島流しだなんて嘆いていたのに、いつの間にかユーフォニアムのことを好きになっていた。弱小校で独学でやっていたので、正しい奏法かどうかなんて分からなかった。実際、この時はまだ音程もよく分からなかったし、腹式呼吸だって出来ていなかった。それでもこの音色にどうしようもなく惚れてしまって、正解が分からないまま吹き続けた。

ユーフォニアムパートは相変わらず他のパートからあぶれた後輩が流れてくるような島流し場扱いだったが、同期と2人でユーフォニアムの魅力を布教しつつみんなの面倒を見た。

この後、部内抗争が勃発して大量の退部者が出るなど散々な荒れ模様だったが、ユーフォニアムだけは変わらず優しい音色のまま、これまでの吹奏楽部の歴史を受け入れきたままに、ただそこにあった。

 

高校では、もう吹奏楽はいい、私は音楽で辛い思いなんかしたくない、ただ楽しくやれれば良い、と、科学部に入った。これぐらいが丁度いいかな、と選択授業で音楽を履修したのが運のツキ。

吹奏楽強豪校出身で打楽器ゴリゴリやってきた同期がいて、そいつがピアノの鍵盤を押して一音鳴らした。衝撃だった。

上手い人は何気なく鳴らした一音がもう違う。家に帰ってエレクトーンの埃を払って、ひたすら一音だけを押し続けてみるも、どうも違和感しか残らない。彼女の音と全然違う。ピアノとエレクトーンということを差し引いても違う。本質的に違うんだ。

中学時代のいざこざが尾を引き、一年間は吹奏楽部に入らずに無駄に粘ったが、彼女の熱意にとうとう口説き落とされて入部した。こいつとなら楽しいかも、ちょっと騙されてみよう、と。

 

彼女はただピアノが上手いだけじゃなかった。発声法から呼吸法まで楽器演奏の基本を叩き込んでくれた。

正しい姿勢、正しい呼吸法、正しい奏法、彼女の持つあらゆるノウハウと人脈を駆使されて、私を始めとする部員はみんなそれなりに演奏できる人になった。楽器未経験者もいたのに、だ。なんと、あんなに苦戦した音感もついて、音痴も少しマシになった。

 

正しい奏法を少し知る前と後では、音楽の楽しさが格段に違った。それまではただ「好き」ということだけが明確で、上手く表現できない理由も、何がどうできていないのかすら分からず、無意識のフラストレーションを溜めるばかりだった。

奏法を変えただけでみるみる音が変わっていくのが分かった。音程が安定し、音色に芯が入り、低音は全てを包み込むように高音はしなやかに、曲に合わせた表現も覚えた。

自分の演奏だけではなく、身の回りで流れている音楽の捉え方もガラッと変わった。今まで認識できていなかった情報が処理できるようになり、音源を聴くたびに新しい魅力の発見があった。

この時が一番音楽に節操がなく、水を得た魚のように次から次へと新しい音を摂取し続け、音の大海に溺れていた。楽しかった。青春時代を熱く語っていた父に、この時初めて共感したように思う。

 

しかし楽しい部活は長くは続かなかった。担当顧問が変更になり、それまで部を率いてきた彼女と大きく対立し、部内分裂が起こった。方向性を見失い、バランスを崩した合奏は聴いていられない気持ち悪さで、もう部活を続けることを頑張れず、学業に専念することにした。

部活を引退してからは、ピアノを弾く彼女の横で私はその音色を漂ったり、伴奏に合わせて歌ったり、海岸に散歩に出掛けて海に2人の歌を溶かしたりした。私と彼女の音楽の相性は最高で奇跡のシンクロ率だった。ユニゾンが綺麗過ぎて歌いながら何度も泣いた。後にも先にも彼女を超える相性の人は現れていない。彼女とだったからこそ、ささやかで甘美な時間だった。

 

大学時代は生活費稼ぎでそれどころじゃなく、社会人になってからも忙しくて自分の面倒見るので精一杯で、私が音楽の発信側にまわることはパタリとなくなった。代わり、暇を作ってはカラオケに通い、プロアマ問わずライブに足を運ぶというかたちで音楽に浸るようになった。歌・バンドだけでなく、楽器奏者のライブも楽しい。ストリートではお気に入りのバイオリン奏者も見付けて、遭遇するたびに曲をリクエストして手作りのCDを買う。オールディーズバーなんかも煙臭いが最高の空間だ。

対面での音楽を楽しむことが難しくなった今は、配信サイトを巡ってお気に入りの音楽をアテに酒をちびちびと煽る。今やすっかり、幼い頃見ていた父の姿のそれだ。

誰もが発信できるようになったので、供給は次から次へと止め処なく溢れ出るから飽きない。荒削りからプロ顔負けのアマチュアまで幅広く、新たなジャンルの扉をいくつも開いた。

 

音楽には長く触れてきて、その割には世の発信者みたいにすごく上手いわけではない。でも音楽とともに過ごした日々はどれもこれも私の大切な時間だった。

もう見たくない、演りたくない、聴きたくない、辞めようと思い離れようとしたところで引き戻される。何度も何度も。だからもう逃げることは諦めた。下手でも良い、中途半端だとかなんだとか、何を言われたっていい、辛くなったってどうしたって、私は音楽が好きだ。大好きだ。

 

生演奏を、生の歌声を、楽器やスピーカーから出る振動を、パフォーマンスを、大きなドームの観客の熱気を、小さなライブハウスのあのこもった空気を、肌で感じる日が待ち遠しい。

リハビリ

実家半径10km圏内の世界しか知らなかった子供の頃、どうしてもその環境に馴染めず、それに適合出来ない私は詰られるばかりだった。

きちんと育ててくれたことには感謝しているが、頭ごなしに否定された言葉は今でも私の心に蔓延っていて、不完全燃焼で燻っていた思春期の私が叫びだすのをよく宥めている。

 

今思い返せば間違っていたところはあったけれど、当時から全てが間違いでは無いはず、という一心で勉強に没頭し、寮がある高校に進学してやっと実家から物理的な距離をとって一息付けられるようになった。

決して悪い親ではなかったので嫌いにはならなかった、というより嫌いになれないが故の行き場のないフラストレーションをぶつけていたのが文字で、毎日色んな媒体に想いを書きなぐって一日を終えていた。地元県外の大学進学して生活的にある程度自立出来るようになったら、そういったストレスからは離れられたけれど、また別の環境での課題にぶちあたる。それについても、とにかく何でも自分の中の汚い嫉妬もエゴもなんでも全部吐き出すように書いていた。

手に余る課題に途方に暮れながら書き始めても、書いているうちにパズルがパチっとハマるように答えがまとまるから、思考のチューニングに無くてはならないものになっていた。

 

そんな私の文章を読んでくれている人の中には、行間を読み込むのに秀でた人がいて、それに気付かされることも多々あったのだけれど、全然違う解釈を押し付けてくる人がいて、彼女の扱いにだいぶ手を焼いた。

直接言われれば都度訂正もするのだが、直接は言わずに見えるところに書く。これはもしかして私のことなのかと気が付いて聞いた時にはもう手遅れで、彼女の中では私は「彼女に対して恨みを抱いていて、今までずっと無視していた」で固まっていて、訂正しようにも言い訳にしか捉えられず、箸にも棒にもかからなかった。

せめてと、「これからは直接言ってくれ」とお願いしたら、来るのは曲解の嵐で、時を変え言葉を変えても、もう私の言葉は何一つ届かなかった。私の書く言葉全てに違う解釈を持って傷付く彼女を見て、それまでは何でも話ができる頼りになるお姉さんだったから伝わらないのが辛くて、どうにかまた元の関係に戻したくて手を尽くした。

思いつく限りのことは全部やり尽くして、共通の友人に相談したら過去にも同様のことで揉めていたと知り、これはもう私の手には負えない案件だ、と泣く泣く縁を切って終了。

 

この前後にも、今まで普通に仲良くしていた人がおかしくなったり、攻撃的に豹変するということが続いて起きて、私が好きなものとか正しいと思っていたことが大きく揺らいだ時だった。

何を信じたらいいのか何を好きでいたらいいのか分からなくなって、灯りも何もない暗闇に落とされたようで、呼吸するように書いていた文章がぱったり書けなくなった。書こうとすると、矛盾した思考が出力を遮って言葉として出てこなくなる。それまで何も迷わなかった表現に躊躇して、書いては消し、書いては消し、を何度も繰り返して、結局何も書かずに終える悶々とした日々が続いた。

 

今や当時の見る影なくすっかり元気だし、書けないなりに自分の思考まとめられるようにはなったし、これはこれで良いのかもしれないのだけれど、また書けるようになりたかった。また、書いて思考のチューニングが出来るようになりたかった。

色々と試しているが、誰にも見えないところに書くのも、私ということを表明せずに書くのも、全然続かなかった。たぶん性に合わないんだよな。別にどこかに出すのでもないのだけれど、好きな人が気が向いて立ち寄って読んでくれた時に、通りすがりの誰かに、私の中の何かが伝わってくれたら嬉しい。

 

ぱっと読み返しても同じ表現が続いていたり、口調が変わっていたり、構成がめちゃくちゃで、我ながら大変読みにくいのですが、リハビリなのでご愛嬌。

ではまた。

ひらひらがついた赤いうきわをふーーっと膨らませている。

まだ短い髪を頭のてっぺんで括ってふわふわのちょんまげにして、水着とTシャツを着せてもらって、手を繋いで海まで歩く。

眩しい日差しのチリチリとした感覚が腕を走る。

 

初めて近くで見た海は、透明で、柔らかくて、優しい音がした。

引いて寄せる波のかたちを捉えたと思ったら次の波は少しだけかたちを変えて、その次の波のかたちもまた少しだけ変わる。同じかたちを捉えたくて、変わり続ける波が生きているみたいで、暫くじっと眺めていた。

足先を浸した海は少しだけ冷たくて、波が寄せると足がひんやりと海に包まれ、引くと足裏の砂も一緒にしゃりしゃりと動く。

 

うきわに足を入れて、腕でしっかり掴むように促され、少しだけ深いところに足を進めた。

胸元まできた海は足先だけよりも少しだけ強く、でも優しく包まれるようで、うきわと身体の間に入った波がぽちゃぽちゃと音を立ててぶつかる。

うきわに掴まりながら歩こうとすると、海に優しく引き留められて緩慢な動きになる。アニメキャラクターみたいに空を飛んでるようで面白くて、うきわを引く手の主を見上げる。

 

足を浮かせてみるよう言われて、ゆらゆらと揺らされるうきわに身体を預ける。ふわふわするような心許ない浮遊感に手足が強張るも、心許ない感覚にも慣れてきて少しずつ緊張を解いてみる。波に踊るうきわのひらひらと、透き通るうきわの向こう側の海が一緒に動いていた。

 

もう少し近くで見たくなって、うきわに耳を当てる。水面が目の前で揺れる。うきわに波があたる音が響く。

目を閉じるとまるで海の中にいるような気がして、だんだんと溶けていくような気がして、それがあまりにも優しくて心地良くて、ずっと揺らされるうきわに身を預けていた。

 

海から離れるにつれ、ふわふわと軽やかだった身体が、名残惜しむかのように重くなる。

帰りは抱き上げる腕に寄りかかり、うとうとしながら帰路についた。

 

一番古い記憶、齢2歳、石垣島、自宅近くの海にて。

ボヘミアン・ラプソディ

BOHEMIAN RHAPSODY

 ブライアン・シンガー監督

 アンソニー・マッカーテン脚本

 

イギリスのロックバンドQUEENの亡きボーカル、フレディー・マーキュリーの半生を描いた映画。

 

ドラマで「I was born to love you」が起用された頃、ちょっとしたQUEENブームが到来していた。

当時は学生で寮生活を送っており、早々にDVDを手に入れた友人が鑑賞会をしていて、それを観たのが初めての出会い。

独特な風貌とファッション、歌っている時の動き、一見するとちょっと引いちゃうような姿なのに、強烈に格好良く、目が離せなくなった。

フレディーが亡くなっていると知った時は、彼らのLIVEに行けない悔しさに泣き、今も尚色褪せない楽曲に浸った青春だった。

 

本編前のQUEENへの愛を感じるFOXのファンファーレに、持っていたイメージ通り画面の中で笑い泣き喧嘩する彼らは微笑ましく、インタビュー文でしか知らなかった曲作りシーンも、ちょっとした動作に彼らそれぞれの性格が感じられるもので、些細なシーンでも泣きそうになったのは私だけじゃなかったはず。

 

この映画は史実通りのストーリーではないからこそ、伝記とかドキュメンタリーというよりもQUEENの楽曲とかMVとか、その延長にあるもののように感じる。

フレディーが愛したメアリーとジム・ハットン、性愛の苦悩、AIDS闘病、全部が全部美しいわけがないのに、それを美しく丁寧に悩み迷いつつもアーティストとして生き抜いた彼をテーマにした作品。

 

素晴らしい音楽的才能を絶賛される一方で、叩かれる彼の姿に心を痛めてきた一ファンとして、この映画から溢れる盲目的とも言える愛に、救われた気がした。

あの世の彼への最高の手向けだ。

 

本当に良いものを観せていただきました。

DVD発売が待ち遠しい。

 

2018.11.23

グレイテスト・ショーマン

THE GREATEST SHOWMAN
 マイケル・グレイシー監督
 ビル・コンドン/ジェニー・ビックス脚本

 

ユニークな人の大げさに盛った設定を吹聴し、所謂フリークスで人を呼び集め、
サーカス興行を成功させた実在するP.T.バーナムを主人公に描いたミュージカル映画
プロモーションで流れてきた動画の音楽に、久し振りに「これは観に行かなくては」となり、駆り立てられるまま劇場に足を運んだ。

 

この映画を称するにどこかで使われていた、「人生賛歌」とは言い得て妙で。
同じ世界で様々な環境に取り囲まれながら人は生きていて、それぞれの中に輝く魅力や卑しい欲望、燻る想いが在って、それが人と人とが交わって、傷付け合ったり、高め合ったりして、私達は生きている。
自分を隠し守りながら、その中で突き破ってくる芯を、嫌いでも醜くとも、それを活かし武器にして生きていくしかない。
この交錯する想いが音楽に歌にダンスに、すごく丁寧に滲み出ていて、溢れていて、力強いものになっていた。

 

唯一無二の武器を手に、もう怖いものなんてない、This is meという叫びも
下から零れ落ちる空虚を満たしたくもがきながら叫ぶNever Enoughも
この二人がここに行き着くまでの苦労と、その全てを昇華させるような歌声に心臓をぎゅっと掴まれるようだった。

 

恋に落ちるシーンが丁寧に描かれていたのが印象的だった。
シンと、音が止み、空気が止まり、その人から目が離せなくなる。
その時の輝く目が、心奪われた表情が、人が一番美しくなる瞬間だと思う。

 

元気が出る映画だった。
また、心が和らいでいる時にも観に行きたい。

 

2018.2.24